金ちゃんの本音と建て前+plus

エス・デザイン代表のブログ

みちのくひとり旅

先日、2泊3日で仙台へ出張した。

f:id:satoruk888:20140715081846j:plain

目的は、登録耐震診断資格者講習 ・耐震改修技術者講習を

受講するためである。

この講習は、一般財団法人 日本建築防災協会が主催するもので、

年に一度、主要都市で行われている。

僕が受講したのは、鉄筋コンクリート造についてのそれである。

実は、地元の福岡でも開催しているのだが、締切に間に合わず、

平成26年度の同じ講習は、残り仙台のみだったからである。

 

さて、仙台である。

講習は2日間、前の日から入って、レンタカーで三陸海岸沿いを

北へと向かった。

3.11から、既に3年と4ヶ月が経過しているが、今を見ておきたかった。

f:id:satoruk888:20140715101445j:plain

ホンダ・フィット、まだ800kmも走っていない新車である。

ちょっと得した気分で、仙台空港を出発した。

 

まず、気仙沼、復興はまだ遠い様子、道路の整備や造成の最中で、

これからの道のりが簡単でないことが窺えた。

 

次に、陸前高田、ここに町があったのだろうか?と思うくらい、

その形跡が見当たらない場所もあった。

カーナビにある道路が実際には無かったり、ショックを受けた。

 

高田の奇跡の一本杉は、車窓から眺めただけであるが、今では

人が集まる雰囲気を、感じられなかった。

人工的に再生したニュースは、もう昔のことになっていた。

 

途中、休憩を兼ねて昼食、ラーメン屋に立ち寄った。

f:id:satoruk888:20140715133249j:plain

秋刀魚だしらーめん、めっちゃ美味であった。

博多とんこつラーメンがベースの僕のラーメン舌に、甘辛いだしと

しなやかな麺が絡んで、抜群に美味しかった。

ラーメン屋の名前が思い出せないが、場所は覚えている。

食べ終わった時点で、いつかまた来るぞ、と思った(^-^)

 

再び北へ向かった。

f:id:satoruk888:20140715140152j:plain

空港から205km、新車のフィットは、走行距離1000kmに達した。

 

どうしても見ておきたかったのは、釜石港である。

何度も何度も、NHKが放映したあの恐怖の光景、その場所を。

 

釜石港に到着すると、その場所は人に聞かなくてもすぐに分かった。

f:id:satoruk888:20140715144852j:plain

津波避難場所への階段の登り口である。

f:id:satoruk888:20140715144951j:plain

この通路が避難所へと続いていく。

f:id:satoruk888:20140715145923j:plain

登りきったところが、津波避難場所。

階段とスロープを登る、ちょっと肩で息をしてしまうくらいの高台だ。

f:id:satoruk888:20140715145230j:plain

これが、避難場所、高台から見た港の風景である。

低い建物は軒並み姿を消しており、もう雑草が生え茂っていた。

あの日に住民の方たちが見たものは?

想像するだけで絶句である。

 

何か、胸の中にザワザワするものを感じた。

ちょっと落ち込んでしまい、チカラが抜けてしまった。

 

下へ降りた。

f:id:satoruk888:20140715151303j:plain

解体されずに残っている建物、廃墟と化している。

f:id:satoruk888:20140715150336j:plain

5階建の3階部分まで海水に浸された跡を、青い帯で表示している。

海全体が、ここまでせり上がってきたしるしである。

f:id:satoruk888:20140715150600j:plain湾岸まで下りてきた。

あの日のことが、まるで嘘のように、穏やかな美しい海だった。

 

行って良かった、と思っている。

 

政治家やメディアを筆頭に、忘れ去られようとしている被災地のことを

みんな絶対置き去りにしてはいけない、と思うのである。

 

仙台市内に戻ってきたのは、もう午後7時過ぎ。

走行距離450kmのロングドライブだった。

f:id:satoruk888:20140715185233j:plain

PAの駐車場に車を停めて空を見上げると、うろこ雲が流れている。

東北は思いの外、暑く、とっくに夏が訪れているように感じた。

(7月15日の時点です。)

 

2日目・3日目は、真面目に講習を受けて、ひとり旅は終わった。

 

ところで、仙台といえば、在住ロックバンド、MONKEY MAJIKを思い出す。

カナダ人と日本人の融合、楽曲もなかなかクールでいい感じ。

ただ、英語で歌うのか、日本語で歌うのか、ハッキリしてほしい(笑)

ないまぜにすると、意味がよく分かんないのである。


モンキーマジック「空はまるで」 - YouTube

危ないと思うこと

このブログは個人のものなので、何を書いてもいい、

とは、思っていない、同時に会社のものだから。

 

しかし、あえて取り上げたい。

集団的自衛権の行使容認」を政府が勝手に決めたこと。

最も向かってはいけない方向に舵を切ったこと、である。

 

第二次世界大戦後、ほぼ70年が経とうとしている。

そして、日本人は、それを忘れそうになっている。

 

僕が小学生のころ、広島に原爆が投下された8月6日は、

夏休みの登校日であり、平和授業が行われていた。

今では、広島の平和式典が報道されるのみである。

 

そして、社会の授業では日本国憲法の第9条、戦争放棄

先生が熱心に唱え、大切なものであることを教わった。

 

当時、一生徒であった僕は、戦争で失ったものが甚大で

あったこと、身内や大切な人を亡くした戦争の悲惨さ、

残酷さ、二度とやってはいけないものだと、心に刻んだ。

 

それが、いとも簡単に、国民の信を問うことなく、

政党与党のみで、数にものを言わせて決めてしまう?

など、あっていいはずがないことである。

 

それはつまり、戦後の日本を自ら否定することだと、

戦争に一切関わらないという信念を曲げることだと、

再び国民を戦争の脅威にさらすことを許すことだと、

強く思うからである。

 

国際的な立場上、集団的自衛権を行使して、戦争に

加担する、あるいは、そのようにみせる。

自衛隊を派遣して、戦争に参加できることを宣伝する。

 

一体、それに何の意味があるのだろうか?

 

ちょっと極端な意見になってしまったので自重する。

 

僕は、反対である。

 

憲法を改正する手続きが面倒で、解釈を変更するという

猪口才なやり方は、卑怯だと思うのである。

やるなら堂々と、国民投票を行うべきであった。

 

何か、釈然としない、これが日本という国なのか?

 

サッカーW杯の開催中に、重大な決定がなされた。

日本が勝ち残っていたら、煙にまかれるところだ。

それは、偶然重なったこと、だろうけど。

 

必要のない議論を、政治家だけで勝手に、である。

 

この国は、どこに向かおうとしているのか?

若い人たちに事実を、真実を、本当のこと伝えて、

一緒に考えていかなければ、危ない。

 

僕が、危ないと思うこと、でした。

 


戦争を知らない子供たち ジローズ - YouTube

僕が僕であるために

東日本で雨模様が続く中、福岡は日照りが続いている。

小さな島国なのに、地方ごとに天気はマチマチである。

 

さて、サッカーW杯が開幕、サッカーに興味が薄くても、

なんとなく夜なべして、テレビ観戦してしまう。

 

日本より広大なブラジルなら、スコールみたいな雨に

見舞われてしまうゲームがあったとしても、当たり前、

何の驚きもないのである。

 

ザックジャパンは、本日10時、コートジボアール戦、

「世界を驚かせる」予定の第一歩を踏み出す。

 

スポーツは結果がすべて、実に分かりやすい。

「惜しかった、よく頑張った、とか言われたくない」

と、1トップは譲らない男、柿谷選手が答えていた。

有言実行、もし叶うなら、最高である。

 

話は変わるが、主旨は変えない。

 

僕は、どちらかと言えば、カラオケが好きである。

そして、同じ歌ばかり歌うのは好きじゃない。

いつも、レパートリーを増やそうと耳を澄ましている。

 

事務所でひとり、作業をしているときなどは、

YouTubeで興味のある曲を流しながら口ずさんだり、

FMラジオを聴きながら、リズムを踏んだり、

僕はその方が、仕事がはかどったりする方だ。

 

この頃、引っ掛かった歌のひとつは、故、尾崎 豊の

「僕は僕であるために」

である。

 

僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない

♪正しいことが何なのか それがこの胸に分かるまで

♪僕は街に飲まれて 少し心許しながら

♪この冷たい街の風に歌い続けてる

 

様々なアーチストが、W杯の応援歌を発表しているが、

わざわざ新しく作る必要はない。

椎名林檎も、ウカスカジーもいらない。

 

「僕は僕であるために」を軽く口笛で吹きながら、

涼しい顔でゴールを決めてほしいくらい、なのである。

 

でも、応援団が盛り上がらないだろうなあ・・・。

ノリがイマイチだしなあ・・・。

ブラジル的には、サンバかなあ・・・。

 

まあいい。

勝ち続けてほしい、その想いは変わらないのだから。

 

それはそれとして、あなたにも贈りたい歌なので、

ぜひ聴いてみてください(^-^)/

 


僕が僕であるために ー 尾崎豊 (歌詞付) / So I can be Myself - Yutaka ...

 

半世紀おめでとう?

友人から、そう言われて、複雑な気分になった。

僕は、5月1日、半世紀=50歳の節目を迎えた。

(友人は同級生、自分もじきに半世紀になるのに、笑)

 

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

 

織田信長が、特にこの節を好んで使ったという、

幸若舞(こうわかまい)「敦盛(あつもり)」の一節である。

 

直訳すると、

 

人間世界の50年間は、天界の時間に比すれば、

一瞬のまぼろしに過ぎない

 

となるのだが、その意味は?

 

この言い回しを、せいぜい50歳で尽きる人生は儚(はかな)い、

と、とるのは通俗的な解釈で誤り、とのこと。

 

人生は、あっという間に過ぎてしまう儚いものだから、

我が思う存分、生きてやろう!

 

信長は、そんなノリだったんじゃないか、と。

 

そう考えると、信長は我を通した分、他人の自由を奪い、

身内によって暗殺される最期は、運命と片付けるよりも、

自ら導いた、必然的な結末であったのかもしれない。

 

NHK大河ドラマ軍師官兵衛」で信長を演じる江口洋介

爽やかで、情が全く無くもなく、それらしくないのだが。

余計な世話?(^-^)

 

信長に特定の軍師はおらず、戦略等、独断で全てを行った。

仮に軍師がいたら、首がいくつあっても足りなかったかも、である。

 

元に戻る。

 

人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

 

夢幻の如き50年は過ぎたが、まるで実感が湧かない。

暗殺されない程度に、もう少しわがままに生きようか?

 

自分を有効活用したい、50代の幕開けである。

 


Mr Children / 終わりなき旅 【PV】 - YouTube 

能古島の片想い

つきせぬ波のざわめく声に 今夜は眠れそうにない♪

浜辺に降りて裸足になれば とどかぬ波のもどかしさ♪

僕の声がキミにとどいたら ステキなのに♪

 

 フォークソングの大御所、井上陽水の楽曲のひとつ、

能古島の片想い」の歌い出し部分である。

 

能古島」は、博多湾の「のこのしま」である。

 

それでいて、歌の歌詞のどこにも、「能古島」は現れない。

故意に、そのように作詞したのだろうか、実に面白い。

 

f:id:satoruk888:20140116153421j:plain

写真は、福岡市西区の愛宕(あたご)神社から見下ろした、博多湾の眺望である。

 

一番左の部分に見える島こそ、本物の能古島だ。

 

若い日の陽水が「能古島の片想い」を創作した、1970年代には、

埋立地に建った、タワーマンションも戸建住宅群も無かっただろう。

小さなフェリーで十数分、博多湾にポツンと浮かぶ、能古島

なんとなく、「片想い」が似合いそうな感じもする。

 

愛宕神社にお参りしたのは、他でもない。

仕事で近くに来ていたので、久しぶりに立ち寄ったのである。

神戸から遥々出張で来られていた先輩も「行ってみよう」と、

プチ観光気分で。

 

僕、個人的には、新年が明けて、二社お参りしていたので、

この愛宕神社で、三社参りになる、みたいな縁起担ぎ?

そんなノリで、二人で愛宕山に登ったのである。

 

登った?はい、クルマで(笑)

 

冬の寒空の中、愛宕山の頂上にある愛宕神社は、思いのほか

先輩に喜んでいただいた。

なにより、その古くからの歴史、ことさら立地が素晴らしい。

案内した僕も、まんざらでもない感じになり「そうでしょ!」、

僕が偉いわけではない、愛宕神社が超立派なのである。

 

そして、お社の後方に広がる博多湾の眺望が、スゴイ。

 

歴史の変遷に思いを馳せながら、さえぎる物なくパノラマ状に

見渡すことのできるスポットは、ここしかない、のである。

 

そんな眺望の中で、いにしえの景色として残っているのは、

少し遠くにかすむ志賀島と、その左手前に見える能古島

 

志賀島(しかのしま)は、陸繋島(りくけいとう)、

中学時代くらいに習った覚えが?

砂州により、本土(海の中道)とつながった陸続きの島である。

 

能古島は、博多湾の中に浮かぶ、独立した島。

その、一人ぼっちな雰囲気が、やはり「片想い」に似合うのである。

 

さて、新年が明けて、1月が早くも下旬に差しかかろうとしている。

三社参りも済んだことだし、本業に励まなければ、である。

 

今年は、結果を出す一年にしたい、肝に銘じて、がんばります!

 

 

P.S.「能古島の片想い」をオマケに添付したかったのですが、

   残念ながら、陽水の適当な本人動画が見つからず。

  「帰れない二人」with忌野清志郎 行っときましょう(^-^)/

井上陽水 帰れない二人 - YouTube

 

やがて分業は廃れ、コラボ時代へ!

大企業に就職すれば安心、公務員になれば安泰、それは一般論かもしれない。

 

でも、大企業の定義って、事業規模?社員数?

上場している企業の中で、50年以上、続いている会社の数は意外に少ない。

 

そもそも、公務員のやりがいって、何だろう?

国家公務員、地方公務員、入口(試験合格)で決まるヒエラルキーの世界。

 

なーんて、反社会主義者の嘆きか?

それとも、零細企業を営む者のため息か?

 

そうじゃない人は、社会の中で、どう立ち回れば、対抗できるだろうか?

 

方法はこれしかない、「コラボレーション」である。

 

人には弱みがあるように、会社にも苦手分野がある。

人には強みがあるように、会社にも得意分野がある。

 

もしも、コラボによって、お互いの得意能力を最大限発揮し、

そして、コラボによって、お互いの苦手分野を克服できれば、

みんなが、ハッピーである。

 

能書きが長くなったが、この度、コラボユニットを結成した。

というか、名刺を作っただけ?まずは、カタチから入る。

 

f:id:satoruk888:20131006155722j:plain

 

esdesign+nano Architects

ちょっと絡みが増えてきたので、この際、ユニット組んで動いてみよう!

っちゅう話です。

 

くっついたり、離れたり、アメーバのように自由に活動していきたいな、と。

不動産と設計を中心に、既存の枠にとらわれず、他の業界にも輪を広げたい、

みたいな。

 

「三人寄れば文殊の知恵」、コラボレーションの時代、到来です!

 


Let's Get Together Now Japanese Version (with ...

グッ、プレ!-good presentation-

日本人のプレゼンが、世界に通用する瞬間を見た。

 

東京オリンピック 2020

 

とはいえ、マドリードにはスペイン経済危機問題が、

イスタンブールには内戦や隣国シリア情勢問題が、

それぞれ障壁になっていたことも、追い風となった。

 

日本は、福島原発の汚染水問題を抱えながらも、

経済的な基盤、交通システム、インフラの充実など、

オリンピックが、安全に開催される確率が最も高い、

つまり、IOCにとって、最もリスクが少ない都市だと

ジャッジされ、見事、開催国に選ばれたのだろう。

 

しかしながら、である。

 

あの、日本のプレゼンテーションは素晴らしかった。

 

冒頭、佐藤真海さん(パラリンピアン)のスピーチで、

すでに、目がしらに熱いものが込み上げてきた。

 

「私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、

新しい自信が生まれました。

そして何より、私にとって大切なのは...

私が持っているものであって、

私が失ったものではないということを学びました。」

 

これはつまり、過去より現在、未来が大事であると、

健常者にも障害者にも共通する精神だと思った。

 

そして、彼女の豊かな表現、日本人にもできちゃうんだ、

すごく驚いたし、掴みはOK、みたいな雰囲気を作った。

IOCへのプレゼンは、その前に日本人のココロを

わしづかみにしたのでは、ないだろうか?

 

小谷実可子さんの会場案内ビデオにも、感心した。

いかにも、大手広告代理店の企画・監修によるものだが、

元選手とは思えない、見事な案内ぶりであった。

 

あと、滝川クリステルさんのスピーチ。

なぜ、この方がオリンピック招致のスピーチに立つのか、

その答えは、フランス語をしゃべる役だったのか、と。

「お・も・て・な・し」

そこしか分からなかった(笑)

 

あれ、女性の話ばっかり?

 

満を持して、太田雄貴さんの気迫のスピーチ!

フェンシングの仮面を脱いでも、彼はナイトだった、

いや、サムライだった。

あのくらい正々堂々と話すのならば、英語力が十分でなくとも

気持ちは通じるのではないか、と勇気をもらった。

 

最後に、安倍総理

自民党に政権交代して以来、最高のスピーチではなかったか。

大学でアーチェリーをやっていたというエピソードは、

国民との距離が、そんなに離れていないと感じさせたし、

1964年の東京オリンピックの成功の話もよかった。

初めて、安倍総理は立派だなあ、と率直に思った。

 

政治の話は、未だに信用できないが、である。

 

とにかく、2020年のオリンピック東京開催が決まった。

7年後の目標が決まったことに関して、それに出場できる

スポーツ選手だけでなく、国民としても、ひとつ何か、

目指すべき旗印ができたように思う。

 

素直に喜び、自分にできることも考えていきたいのである。

 

今年の夏も、ようやく終わりそうな、この頃・・・。

 


森山直太郎 夏の終わり - YouTube