僕の出生地は神奈川県横浜市だが、幼稚園のとき福岡へ引っ越した。
その後のほとんどを福岡で過ごしたので、横浜の記憶はない。
しかし、僕のルーツはどちらでもない。
両親はそろって熊本県の天草の出身で、本当はそこにルーツがある?
夏の終わりに、母と姉2人と僕の4人で天草の先祖の墓参りをした。
どうやら東京に住む長女と、福岡市内の次女が計画したものらしく、
僕はそれに乗っかって、天草を訪ねることとした。
80を超えた母は誰よりも元気で、子どもたちの企てと察しながらも、
故郷の天草への旅を喜んでくれた。
天草は自然に恵まれたところで、海は、それはそれは美しかった。
歴史的には隠れキリシタンが潜んでいた町もあり、少し宗教的な、
ノスタルジーにも包まれた、何か不思議な一面も持ち合わせていた。
会いたかった親戚との再会も果たし、母は嬉しそうだった。
僕は、父方、母方の墓参りができ、清々しい気持ちになった。
今は亡き父、そもそも東京に赴いたのは土木設計の仕事のためだった。
2人の姉と僕は、当時住んでいた横浜で生まれ、そこで暮らしていた。
しかし、それは一時的なことで、ルーツは天草にあったのだ。
天草の人々は口をそろえ、若い人が出ていき老人が残ると嘆く。
過疎化していく故郷を、ただ見過ごしてしまうだけなのだろうか?
これは天草だけの問題ではない、日本人、みんなが考えるべき現実で、
美しい故郷を守っていかなければ、次の世代に引き継げないと思った。
もちろん、自分自身の問題と意識できるかどうか、そう認識できるか、
とても深刻な問いなのである。
大切な想いを、じわっと感じた、2015年の夏の終わりに。