先日、2泊3日で仙台へ出張した。
目的は、登録耐震診断資格者講習 ・耐震改修技術者講習を
受講するためである。
この講習は、一般財団法人 日本建築防災協会が主催するもので、
年に一度、主要都市で行われている。
僕が受講したのは、鉄筋コンクリート造についてのそれである。
実は、地元の福岡でも開催しているのだが、締切に間に合わず、
平成26年度の同じ講習は、残り仙台のみだったからである。
さて、仙台である。
講習は2日間、前の日から入って、レンタカーで三陸海岸沿いを
北へと向かった。
3.11から、既に3年と4ヶ月が経過しているが、今を見ておきたかった。
ホンダ・フィット、まだ800kmも走っていない新車である。
ちょっと得した気分で、仙台空港を出発した。
まず、気仙沼、復興はまだ遠い様子、道路の整備や造成の最中で、
これからの道のりが簡単でないことが窺えた。
次に、陸前高田、ここに町があったのだろうか?と思うくらい、
その形跡が見当たらない場所もあった。
カーナビにある道路が実際には無かったり、ショックを受けた。
高田の奇跡の一本杉は、車窓から眺めただけであるが、今では
人が集まる雰囲気を、感じられなかった。
人工的に再生したニュースは、もう昔のことになっていた。
途中、休憩を兼ねて昼食、ラーメン屋に立ち寄った。
秋刀魚だしらーめん、めっちゃ美味であった。
博多とんこつラーメンがベースの僕のラーメン舌に、甘辛いだしと
しなやかな麺が絡んで、抜群に美味しかった。
ラーメン屋の名前が思い出せないが、場所は覚えている。
食べ終わった時点で、いつかまた来るぞ、と思った(^-^)
再び北へ向かった。
空港から205km、新車のフィットは、走行距離1000kmに達した。
どうしても見ておきたかったのは、釜石港である。
何度も何度も、NHKが放映したあの恐怖の光景、その場所を。
釜石港に到着すると、その場所は人に聞かなくてもすぐに分かった。
津波避難場所への階段の登り口である。
この通路が避難所へと続いていく。
登りきったところが、津波避難場所。
階段とスロープを登る、ちょっと肩で息をしてしまうくらいの高台だ。
これが、避難場所、高台から見た港の風景である。
低い建物は軒並み姿を消しており、もう雑草が生え茂っていた。
あの日に住民の方たちが見たものは?
想像するだけで絶句である。
何か、胸の中にザワザワするものを感じた。
ちょっと落ち込んでしまい、チカラが抜けてしまった。
下へ降りた。
解体されずに残っている建物、廃墟と化している。
5階建の3階部分まで海水に浸された跡を、青い帯で表示している。
海全体が、ここまでせり上がってきたしるしである。
湾岸まで下りてきた。
あの日のことが、まるで嘘のように、穏やかな美しい海だった。
行って良かった、と思っている。
政治家やメディアを筆頭に、忘れ去られようとしている被災地のことを
みんな絶対置き去りにしてはいけない、と思うのである。
仙台市内に戻ってきたのは、もう午後7時過ぎ。
走行距離450kmのロングドライブだった。
PAの駐車場に車を停めて空を見上げると、うろこ雲が流れている。
東北は思いの外、暑く、とっくに夏が訪れているように感じた。
(7月15日の時点です。)
2日目・3日目は、真面目に講習を受けて、ひとり旅は終わった。
ところで、仙台といえば、在住ロックバンド、MONKEY MAJIKを思い出す。
カナダ人と日本人の融合、楽曲もなかなかクールでいい感じ。
ただ、英語で歌うのか、日本語で歌うのか、ハッキリしてほしい(笑)
ないまぜにすると、意味がよく分かんないのである。