収束させること、続編である。
本当のことを言えば、収束させることなんて、滅多にできないのだ。
滅多にできないどころか収束できずに終わり、むしろ傷つくことの方が多い。
そして、その傷は時が経つにつれ、古傷となって後遺症の引き金となる。
云わばトラウマ、知らず知らずに固定概念が形成され、行動の邪魔をする。
コトバじゃなんだか上手く言えないけど、プチ消極的になるのだ。
消極的とまではいかないけど、プチ消極的になり、守りの体制になってしまう?
「攻撃は最大の防御」なんて格言があるが、それとは逆に前に進めなくなる感じで、
やりたくない症候群が頭をもたげて、失敗をすることが怖くなる。
これを悪循環と言わずして、何をそう呼ばん、みたいな。
そんな想いを、何度も繰り返し経験して、自分だけの独自ノウハウが育まれる。
気の進まないことに、いつも取り掛からなければ、いつまでも苦手のままである。
食わず嫌いというコトバがあるが、食べれば美味しいのにね、もったいないなあ、
なんて周りの人は思っているような、小さな問題なのではなかろうか?
イヤだと思っていても、取り掛かってみると、面白くなくても慣れてくるのである。
慣れてくると徐々に捌けてくる、捌けると作業がはかどってくる、はかどると
成果が現れてきて、気分が乗ってくる、気分が乗ると楽しくなる、あれあれ、
なんだか面白くなってきたー!
これを好循環と言わずして、何をそう呼ばん、みたいな。
そんな想いを、何度も繰り返し経験して、自分なりの成功理論が育まれる。
自分だけの独自ノウハウと自分なりの成功理論。
違ったアプローチから生まれる、独自ノウハウと成功理論は、これからの人生、
歩んでいく道を明るく照らしてくれるはずだ。
一体、何を言いたいのかって?
収束させることができなかった、その失敗体験こそ、これから進むべき未来で、
ぜってー、役に立つはずだー by モンキー・D・ルフィ
こんなんでよかったのかなあ?
ま、はっきり言って、これは僕の”つよがり”なのである。
だから、オマケもミスチルの「つよがり」
お後がよろしいようで(^^)v