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金ちゃんの本音と建て前+plus

エス・デザイン代表のブログ

収束させること

何が起きるか分からないのは、世の常。

しかし、起きてしまったことは、いつか収束する、これも世の常。

 

事故や事件、戦争など、人間のせいで起きる悲劇。

地震や台風、津波など、自然災害によってもたらされる災難。

 

これらは、解決・未解決にかかわらず、時間を経るにつれて収束していく。

それらは、誰かによって、収束させられていくのだろうか?

 

人間は、長い時間が過ぎると、過去の記憶が薄れて、それらを忘れてしまう。

思い出そうとしても、元には戻らない過去を正確にイメージすることは難しい。

 

 

一体、何を言いたいのかって?

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

 

そんな、平家物語の始まりの一節が頭に浮かぶ。

「永久不変なものはない」

これは、滅び行く平氏を、「栄華は続かない、栄えていても落ちていく」と、

続いていく話なので、ニュアンスは違うんだけれど、僕にはピンとくる。

 

 

現実に戻ろう。

 

僕がやってる仕事のひとつ、不動産取引は、実にやっかいな仕事である。

理由は簡単、取り扱うお金の額が大きいので、人が余計に群がるのである。

 

しかし、不動産取引もまた、仕事がいつ起きるのか分からない。

いつ起きるか分からなくても、可能性があれば関われるように準備する。

そんな人たちが複数いて、一丁噛みしたがって群がるのである。

 

不動産の商売は、千三つ(千のうち三つくらいしか話がまとまらない)である。

取引の当事者(売主、買主、貸主、借主)とダイレクトな関係にならないと、

取引を成立させることは困難である。

当事者以外の人が紹介者であった場合、頼りにならないことが多々ある。

 

さて、ひとたび当事者が取引を決心して、ビジネスが発生する。

この時点で、報酬を得ることが保証されることはない。

そこが、問題なのである。

 

日本の慣習では、不動産の取引の報酬は、成功報酬とされることが多い。

つまり、いくら汗を掻いても、取引が成立しなければ、お金はもらえない。

当事者の気が変わって、「止めた」となれば、「御破算」なのである。

「願いましては」に逆戻り、苦労は水の泡と消える。

 

「御破算」も、収束することのひとつではある。

ただ、無性に虚しい収束のあり方である。

残念ながら、「御破算」も千のうちの、997の失敗の中に含まれるのである。

 

さあ、運よく取引が進む感じになってくると、地獄耳の人たちが目を覚ます。

勝ち馬に乗ろう、何か手伝って報酬のおこぼれに授かろう、みたいな勢いで。

人が余計に群がるのである。

 

取引話も佳境に入ると、もう、人間関係がぐじゃぐじゃになってくる。

その中に、取らぬ狸の皮算用をするタヌキが何人もいて、仕事は何もしない始末。

コバンザメのように、自分は何もせず、おこぼれ頂戴、なのである。

サメのカラダの掃除をする分、コバンザメの方がマシかもしれない。

 

疲れる、本当に疲れるのである。

 

しかしながら、当事者は取引の成立を望んでいるわけで、それこそが目的だ。

成功報酬はアタマ(総額)が決まっていて、関わる人間が多数いる場合は、

それぞれの働きに応じて、山分けである。

山分けと言うと、悪党みたいで感じが悪いが、似たようなものだ。

 

じゃあ、誰が中心になって、取引を成立させるのか?

様々な利権関係を解きほぐし、取引金額を決定し、取引を実現させるのか?

 

誰が、収束させるのか?

 

結局、自分がやる立場に、だんだんと流れていくのだが、一番納得がいくのは、

誰が?と考えると、やはり自分で収束させる、ってことになる。

 

これは、僕が仕事が出来る人間だと言っているわけではなく、人任せにして、

事が上手く運んだ経験がないから、やらなきゃ、と思って自分でやるのである。

ものすごくエネルギーを費やすのだけど、やるのである。

 

まとまった規模の不動産になると、契約をして決済をするまで数ヶ月を要する。

この数ヶ月間のあいだ、都度、取引に係る諸条件の整理をしたりするのであるが、

一丁噛み狙いで関わっている人たちは、何も仕事をしない。

彼らは、時々、思い出したかのように電話をかけてきては、仕事に水を差す。

 

しかし、決済へ向けて、コツコツと業務をこなしていくのである。

そして、収束させていくのである。

 

今、取り組んでる取引は、昨年夏から一年がかりで続けている。

ゴールがようやく見えてきたが、ゴールが近づくと、山分けの時期も迫る。

果たして、テープを切ったときに、達成感を感じることはできるだろうか?

 

それでも、決済へ向けて、コツコツと業務をこなしていくのである。

とにかく、収束させていくのである。

 

収束させることは、大変なことだ。

この仕事、自分がやらなかったら、どうなったのだろうか?

もしかしたら、まったく別の展開になってたかもしれない。

 

しかし、そうだとしても、最後は収束していくのだろう。

大変でも、収束していくのだろう。

 

我々の仕事は、いつ起きるかわからない。

いつ起きるか分からないのは、業界の常。

そして、起きた仕事は、いつか収束する、これも業界の常。

 

収束させることこそ、我々の使命なのである。

 

 

彩り by ミスチル  ライヴ、よかねー!

1番の初めの”ただ”と2番の初めの”今”を合わせると”ただい­ま”になるんだって。