金ちゃんの本音と建て前+plus

エス・デザイン代表のブログ

憂鬱でなければ、仕事じゃない

 憂鬱を好む人間などいない。

 しかし一方で、憂鬱は大きな反発力を生む。

 それに気づいた時、

 憂鬱は間違いなく

 仕事の糧(かて)となる。

 

憂鬱でなければ、仕事じゃない

憂鬱でなければ、仕事じゃない

  

憂鬱でなければ、仕事じゃない

講談社 刊 より抜粋

 

著者の一人、見城 徹  氏は、幻冬舎の代表取締役社長。

本文中に、このような一節が。

 

 僕は、朝起きると、必ず手帳を開く。

 自分が今、抱えてる仕事を確認するためだ。

 そして、憂鬱なことが三つ以上ないと、かえって不安になる。

 

この心境、分からなくもないが、その境地には、耐えられそうにない。

 

僕は、今日、憂鬱な朝を迎えた。

たった一つの憂鬱な仕事のおかげで、寝起きも悪かった。

 

しかし、午前中のうちに、その仕事(打合せ)は終わった。

成果を得るには程遠い結果に終わったが、終わってスッキリした。

 

相手の期待に副えない話をするのは、相手の方が立場が強い場合、

勇気をもって、それを理解してもらえるよう、簡潔に表現するチカラが

必要であり不可欠である。

 

そして、あとは頭を下げる、のみである。

 

だからと言って、前に進むわけでもない。

しかし、後ろを振り返らなくてもいいとは行かないまでも、

過去の清算は、ある程度できる、いや、できたはずである。

 

課題は残ったが、間違いなく一歩進んだ、と信じている。

 

 大きな分岐点に立たされた時、人はくよくよ考える。

 僕は、この時間が何より嬉しい。

 いや、嬉しいと思うしかない。

 

見城氏は、百戦錬磨の仕事力を持つからこそ、そう言えるのだろう。

僕のレベルで考えると、M(マゾ)を演じるに過ぎないような感じ?

やな感じである。

 

 悩むことは、もとより憂鬱である。

 そして、おのずと限界がある。

 それを越えるためには、「暗闇の中でジャンプ」するしかない。

 

 人生とは暗闇の中のジャンプの連続なのだ。

 

暗闇の中のジャンプ、この感覚は、修羅場を潜り抜ける、のと類似?

僕の場合、一回目の独立起業の時(2001年7月)、やったかもしれない。

何しろ、見通しが立っていないのに、やっちゃったかもしれない。

 

もう一人の著者は、藤田 晋 氏、サイバーエージェント代表取締役社長。

 

 僕の行っているネットビジネスもまた、ある意味で憂鬱な仕事だと言えます。

 歴史が浅いため、常に先が見えず手探りだからです。

 

 現場にいる人は、いろいろなものを試したり、損をしたりしながら、

 ようやく光を見つける。

 悩みや苦しみ、痛みを感じながら仕事をする。

 そのような暗中模索にだけ、価値のある世界なのです。

 

藤田氏の方が、分かりやすいし、共感できる、かなあ?

 

いわゆるプレイヤーが、最前線に立って、仕事を取ってきたり、

あるいは営業して、顧客満足のために働いて、利益を生むわけだし、

結果、損をしたとしても、外野席から文句を言われる筋合いはない。

 

あ、これは今日の自分の気持ち、ちょっと脱線・・・。

でも、藤田氏も同じようなことを言っている。

 

 ネット業界は評論家のような人も多いですが、

 彼らが何かを変えられるわけではありません。

 結局、楽な仕事がそれほどの価値を生み出す訳ではない。

 執念や執着心が大きな価値を生むのです。

 

 先が見えず不安で憂鬱な日々を乗り越えて前に進む人にだけ、

 新しい価値ある何かを生み出すことができるのです。

 

藤田氏のコトバに、納得、さすが、アメーバピグである。

ネット業界で、IT長者と呼ばれた社長の中で、一番共感する人である。

歳は僕より9つも下、若いのだが、尊敬する経営者の一人だ。

 

今朝の憂鬱は、もう無い。

新たに取り掛かる仕事が、僕の目の前にあるからだ。

前に進むだけ、である。

 

憂鬱でなければ、仕事じゃない。

 

でも、やっぱり、憂鬱じゃない仕事の方が、いいね!(^^)v

 

憂鬱と言えば、これっしょ!