憂鬱を好む人間などいない。
しかし一方で、憂鬱は大きな反発力を生む。
それに気づいた時、
憂鬱は間違いなく
仕事の糧(かて)となる。
- 作者: 見城徹,藤田晋
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/06/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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憂鬱でなければ、仕事じゃない
講談社 刊 より抜粋
著者の一人、見城 徹 氏は、幻冬舎の代表取締役社長。
本文中に、このような一節が。
僕は、朝起きると、必ず手帳を開く。
自分が今、抱えてる仕事を確認するためだ。
そして、憂鬱なことが三つ以上ないと、かえって不安になる。
この心境、分からなくもないが、その境地には、耐えられそうにない。
僕は、今日、憂鬱な朝を迎えた。
たった一つの憂鬱な仕事のおかげで、寝起きも悪かった。
しかし、午前中のうちに、その仕事(打合せ)は終わった。
成果を得るには程遠い結果に終わったが、終わってスッキリした。
相手の期待に副えない話をするのは、相手の方が立場が強い場合、
勇気をもって、それを理解してもらえるよう、簡潔に表現するチカラが
必要であり不可欠である。
そして、あとは頭を下げる、のみである。
だからと言って、前に進むわけでもない。
しかし、後ろを振り返らなくてもいいとは行かないまでも、
過去の清算は、ある程度できる、いや、できたはずである。
課題は残ったが、間違いなく一歩進んだ、と信じている。
大きな分岐点に立たされた時、人はくよくよ考える。
僕は、この時間が何より嬉しい。
いや、嬉しいと思うしかない。
見城氏は、百戦錬磨の仕事力を持つからこそ、そう言えるのだろう。
僕のレベルで考えると、M(マゾ)を演じるに過ぎないような感じ?
やな感じである。
悩むことは、もとより憂鬱である。
そして、おのずと限界がある。
それを越えるためには、「暗闇の中でジャンプ」するしかない。
人生とは暗闇の中のジャンプの連続なのだ。
暗闇の中のジャンプ、この感覚は、修羅場を潜り抜ける、のと類似?
僕の場合、一回目の独立起業の時(2001年7月)、やったかもしれない。
何しろ、見通しが立っていないのに、やっちゃったかもしれない。
もう一人の著者は、藤田 晋 氏、サイバーエージェント代表取締役社長。
僕の行っているネットビジネスもまた、ある意味で憂鬱な仕事だと言えます。
歴史が浅いため、常に先が見えず手探りだからです。
現場にいる人は、いろいろなものを試したり、損をしたりしながら、
ようやく光を見つける。
悩みや苦しみ、痛みを感じながら仕事をする。
そのような暗中模索にだけ、価値のある世界なのです。
藤田氏の方が、分かりやすいし、共感できる、かなあ?
いわゆるプレイヤーが、最前線に立って、仕事を取ってきたり、
あるいは営業して、顧客満足のために働いて、利益を生むわけだし、
結果、損をしたとしても、外野席から文句を言われる筋合いはない。
あ、これは今日の自分の気持ち、ちょっと脱線・・・。
でも、藤田氏も同じようなことを言っている。
ネット業界は評論家のような人も多いですが、
彼らが何かを変えられるわけではありません。
結局、楽な仕事がそれほどの価値を生み出す訳ではない。
執念や執着心が大きな価値を生むのです。
先が見えず不安で憂鬱な日々を乗り越えて前に進む人にだけ、
新しい価値ある何かを生み出すことができるのです。
藤田氏のコトバに、納得、さすが、アメーバピグである。
ネット業界で、IT長者と呼ばれた社長の中で、一番共感する人である。
歳は僕より9つも下、若いのだが、尊敬する経営者の一人だ。
今朝の憂鬱は、もう無い。
新たに取り掛かる仕事が、僕の目の前にあるからだ。
前に進むだけ、である。
憂鬱でなければ、仕事じゃない。
でも、やっぱり、憂鬱じゃない仕事の方が、いいね!(^^)v
憂鬱と言えば、これっしょ!