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金ちゃんの本音と建て前+plus

エス・デザイン代表のブログ

昭和の大横綱

「横綱の責任」の続編

 

白鵬は、朝青龍と同じ、モンゴル出身の力士だ。

大相撲は、角界という特殊業界のしきたりの上に成り立つ、

日本人独自の、歴史ある伝統興行である。

そのはずが、近年、外国人力士が多数台頭し、番付上位を

占めている。

若貴兄弟、両横綱の時代には、アメリカ(ハワイ)出身の

曙や武蔵丸を向こうにまわし、どちらかといえば、外国人は

常にヒール(悪)役として君臨していたが、主役になることは

稀であった。

時代を遡れば、かつての高見山のように、絶対的な強さを

持たず、大関にも上がれない大男を、観客は応援したり、

面白がったりしていた。

外国人力士は、主役にはなれなかったのだ。

 

ところが、今では、朝青龍白鵬の両モンゴル出身横綱が、

大相撲のメインキャストになった。

日本的な節度ある発言を耳にしたり、横綱であるがための重圧に

耐え忍ぶ姿を観ることは、もう、できなくなってしまったのか。

 

そんなモンゴル出身の両力士を、陰で支え、良きアドバイスを

伝える男がいる。その人こそ、一時代を築いた昭和の大横綱、

大鵬、今では、相撲協会を定年退職し、大相撲博物館長を

務めている、納谷 幸喜(なや こうき)である。

現役中に、史上初めて、一代年寄襲名の授与を受けた、大物だ。

(後に、現役で一代年寄の襲名の授与を受けた千代の富士は、

九重を名のることを決めており、これを辞退したが、歴史ある

大相撲で、たった二人にしか認められたことのない快挙である。)

昭和30年代から40年代にかけて、「巨人、大鵬、卵焼き」と、

世間で騒がれるなど、今では想像しがたい大人気を誇っていた。

ちなみに、白鵬は、大鵬にちなんで、「鵬」の字を四股名

入れているらしい。

 

大鵬が、ウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれたことを

知っているのは、通な人である。

そう、彼はハーフなのである。

(当時、美男子であった大鵬は、女性から、とてもモテたそうだ。)

つまり、純粋な日本人ではないのであり、当時から外国人の血は、

大相撲に流れていたことになる。

人格者でありながら、引退後、相撲協会の理事長などの要職に

就くことがなかったのは、そのあたりに起因するのかもしれないが。

 

晩年を地味に過ごしている納谷氏は、今を代表するモンゴル出身

両横綱にエールを贈り、相撲道を伝道しているのだ。

(「スポーツ大陸」放送に、白鵬のケータイに、納谷氏から励ましの

電話が入るシーンがあった。白鵬が黒星を喫した後に、である。)

 

横綱、大鵬が、大相撲に打ち立てた栄誉は、枚挙に暇がない。

幕内最高優勝32回は、その後、誰にも追い抜くことを許さない。

(唯一、千代の富士が、31回と迫ったが、他にいない。)

 

横綱、大鵬は、ハーフだった。

そして彼は、大相撲の頂点に長い間立ち続けた。

外国人力士の活躍に沸く、昨今の大相撲。

それを気に入らないと嘆く人も多いことだろう。

しかし、彼らは大鵬に支えられ、彼らは大鵬を尊敬している。

大横綱のDNAが、彼らにも引き継がれていく。

 

朝青龍の今回のサッカー事件。

横綱のする行為ではなかっただろうし、大目に見ては

いけないし、彼のためにならないだろうと思う。

残念な出来事だった・・・が。

この件については、今後も静かに見守っていきたい。

 

しかし、しかし、ひょうたんからコマである。

大相撲に、日本全国からの興味が、ふたたび集まるとは、

いい意味で、不測の事態である。

大相撲の地方巡業は、各地で大盛況、今まで眠っていた

日本人力士を喚起し、サービスたっぷり、ファン大喜びの

イベントになり、連日の満員御礼を記録しているらしい。

 

大相撲のルーツを辿れば、そこに横綱、大鵬の名前は、

ひときわ大きく輝き、強烈に光を放っている。

そして、その光は、今も力士たちを照らしている。